スプーン一匙の物語

ツイッター(@maru_ayase)で書いた短い短い小説の保管庫です。

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

にじゅに

出会った時から心奪われた。丸い瞳、薄桃の頬、つむじの匂い。上等なものを生み出した誇らしさもあった。這い、立ち、私へ向けて歩き出す。なつくのだから情も湧く。人格は後から知った。心でも脳でもなく、私の構造がこの子を愛しているのかもしれない。そ…

にじゅいち

巨大な山を登っている。周囲は暗くてやけに血腥い。どうしてここにいるんだっけ。暗いうちに足を動かせと教えてくれた人はもういない。既に俺もそれなりの前線を曳いているからだ。曙光が差す。荒涼とした屍の山を見上げる。そう、頂上の景色が見たかったん…

にじゅう!

家が燃えているんだ、と言った。君とこの子が取り残されて、助けに行きたいんだけど、焼けた家具に阻まれてなかなかたどり着けないんだ。枕に頬を預けた夫はどこか遠い場所を眺めている。青い明け方に私はささやく。私たちは外にいる。取り残されているのは…

じゅうく

はじめに、予感がした。僕はこの女にずたぼろにされる。可愛くて傲慢で飽き性な彼女は、来た時と同じ荷物を持ってあっさりと部屋から出て行った。プレゼントした大量の服も靴も、見事に全部残された。いらない、と言われることはなんて苦しくて気持ちがいい…

じゅうはち

心優しく精悍な、私たちの社会を支える重要な柱の一人だった男が死んだ。沢山の人が花を捧げて彼の不在を嘆いた。私たちは不安で仕方なかった。会場の端でうつむいていた彼の息子が立ち上がり「これからは僕が父になります」と言った。私たちは安心して位牌…

じゅうなな

雪男だなんて思ってもみなかった。手が冷たいのは血行不良で、言葉が冷たいのは知的だからだと思っていた。新婚旅行は鹿児島でしろくまアイスを食べながら桜島を眺めるんだと、嬉しそうにリュックにアイスノンを詰めて旅支度をしていた。雪男だって悪くない…

じゅうろく

家に沈丁花の匂いが漂っている。妹が発情期に入って、体のどこかに咲いたのだ。飲み屋の女にクローバーをうつされた父親の首筋に生えた芽を、母親が苛立ちながら抜いている。昨日初めて触れた彼女の下腹には、紫色の桜草がみっしりと咲いていた。種が紛れ込…

じゅうご

茹でたての卵の殻を剥き、フォークの背で静かに潰す。粉っぽい黄身とぷるんとした白身が混ざるまで、入念に。潰したジャガイモにオニオン、ベーコンを和えたものに投入し、マヨネーズと混ぜ合わせる。工程が一つ進むたびに忘れていく。仕事、家族、性別、名…

じゅうよん

幼稚園からの幼馴染みだ。三丁目辺りに住んでいるとは聞いた。小中高と皆勤賞で、宿題のプリントを届ける機会がなかった。迎えに行くよと言っても、だいたい近所のコンビニで待っていた。同窓会を知らせるメールが届かずに戻ってきて、直接聞こうとなってや…

じゅうさん

怖いよお姉ちゃん。大丈夫、私がついてる。姉妹両方の声をあてるのは初めてだ。妹の声はもっと甘い方がいいか、とホラーゲームの台本を閉じる。少女から老婆まで幅広く演じてきた私も、先日の妖怪役は新鮮だった。外に出ると、隣室の男性が声をひそめて話し…

じゅうに

生き残りたければ鍋を持ち歩きなさい、とお告げが下った。シチュー鍋片手にデートへ向かうと、お前のそういうところが嫌いだったと彼氏にふられた。帰り道で財布と鍵をなくし、部屋に入れなくなった。怖くなって頭に鍋を被る。ふいに他の住人が出てきて私の…

じゅういち

新しい部屋には前の住人宛の郵便物がよく届いた。野菜と健康食品のカタログ、宗教新聞(神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった)、海の絵葉書(オークランドは真夏みたいな暑さです)。全部捨てて、彼女はどこに行ったのだろう。最後に…

とお!

変わった奴だとは思っていた。勉強も運動も人並みなのにやたらと明るく、妙な自信にあふれている。ケラケラとよく響く声で弾けるように笑う。告白したいから、と女子に伝言を頼まれ、前に座る肩を叩いた。なに、と寄った体に違和感を得て、シャツの背中に耳…

ここのつ

美しくて新しくて、売れる商品が必要だ。花、菓子、洋服。考えながら退社し、考えながら子供を迎えに行く。牡丹、ボタン、インコ。深夜に夫が帰ってくる。今週はああで来週もこうでえー大変じゃん。鳥、南国、女の子。なんで一緒にお風呂に入ってるんだっけ…

やっつめ

初めて鹿が出たのは十二歳の時だった。鹿は大きくて獣臭く、澄んだ目がとても美しかった。中学に入ると次第に小さくなり、ねじれた角を伸ばし始めた。生きるのが辛かった高二の冬、乾ききった角がぼたりと落ちた。みずぼらしく縮んだ鹿を抱きしめる。二筋の…

ななつめ

洗い物をしてあげたのになんで怒られたんだろう。気づけば家から出されていた。俺は悪くないし、ケーキなんて絶対買うものか。だけどきっかけがないと帰れないし明日も仕事だ。結局キャベツを一つ買った。目を腫らした妻は受け取らない。ざく切りにして、チ…

むっつめ

防音が自慢のマンションだけど台所は壁が薄いのか、周囲の音が聞こえてくる。歌声、楽器、DIYの金槌音。作曲に詰まると床に座り、酒を片手に耳を澄ませる。アーアーじゅいんじゅいんだだっだだ。ここなら声は漏れませぬ。うむ、我ら幼き人の子をさらい雲…

いつつめ

自分が笑われていることを知った。悪い酒が残る土曜の昼、お見舞いに来てと妹から電話が入った。落ち込んでて、兄さんにはなついてたから。姪っ子の病室は窓から満開の桜を臨めた。もうクラスの友達グループできてるし。入学式に出たかったと泣く娘に春色の…

よっつめ

恋に落ちた。彼女の肌を味わいたいと甘い空想が止まらなかった。そんな僕を彼女は怯えた目で見た。元気だせ、と僕の左腿に棲む蛇がしゅるしゅると喉を震わせる。こう見えて案外いい奴なのだ。また彼女に会った。走って逃げるスカートから、かすかな鳥の羽音…

みっつめ

学校でもどこでも、いつも眠っているやつだった。理由はつまらないから、成長期だから、眠たいから。ぺたんこの学生鞄に、奇妙な本が入れっぱなしになっているのに気づいたのは俺だけだ。あいつが寝ている間は取り出してよく読んでいた。ひんやりと明るい、…

ふたつめ

冬になると、好きな人が手を繋いでくれる。「さむー」「おはよ」「おはよ。ね、ポケットに手ぇ入れさせて」「やだ。アンタ手ぇ冷たいもん」「いいじゃん!ああさむい」コートのポケットに氷のような手を押し込まれ、私は大げさに身震いした。てのひらの窪み…

ひとつめ

久しぶりに父母の夢を見た。両親をどこか海っぺりのこじゃれた観光地へ連れて行こうとする夢だった。いいじゃない、と言わせたくて沢山のガイドブックをめくり、移動手段をつなぎ合わせ、旅のしおりみたいなものを作った。幸せでも、あまり両親の顔を見ては…