スプーン一匙の物語

ツイッター(@maru_ayase)で書いた短い短い小説の保管庫です。

じゅういち

新しい部屋には前の住人宛の郵便物がよく届いた。野菜と健康食品のカタログ、宗教新聞(神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった)、海の絵葉書(オークランドは真夏みたいな暑さです)。全部捨てて、彼女はどこに行ったのだろう。最後に…

とお!

変わった奴だとは思っていた。勉強も運動も人並みなのにやたらと明るく、妙な自信にあふれている。ケラケラとよく響く声で弾けるように笑う。告白したいから、と女子に伝言を頼まれ、前に座る肩を叩いた。なに、と寄った体に違和感を得て、シャツの背中に耳…

ここのつ

美しくて新しくて、売れる商品が必要だ。花、菓子、洋服。考えながら退社し、考えながら子供を迎えに行く。牡丹、ボタン、インコ。深夜に夫が帰ってくる。今週はああで来週もこうでえー大変じゃん。鳥、南国、女の子。なんで一緒にお風呂に入ってるんだっけ…

やっつめ

初めて鹿が出たのは十二歳の時だった。鹿は大きくて獣臭く、澄んだ目がとても美しかった。中学に入ると次第に小さくなり、ねじれた角を伸ばし始めた。生きるのが辛かった高二の冬、乾ききった角がぼたりと落ちた。みずぼらしく縮んだ鹿を抱きしめる。二筋の…

ななつめ

洗い物をしてあげたのになんで怒られたんだろう。気づけば家から出されていた。俺は悪くないし、ケーキなんて絶対買うものか。だけどきっかけがないと帰れないし明日も仕事だ。結局キャベツを一つ買った。目を腫らした妻は受け取らない。ざく切りにして、チ…

むっつめ

防音が自慢のマンションだけど台所は壁が薄いのか、周囲の音が聞こえてくる。歌声、楽器、DIYの金槌音。作曲に詰まると床に座り、酒を片手に耳を澄ませる。アーアーじゅいんじゅいんだだっだだ。ここなら声は漏れませぬ。うむ、我ら幼き人の子をさらい雲…

いつつめ

自分が笑われていることを知った。悪い酒が残る土曜の昼、お見舞いに来てと妹から電話が入った。落ち込んでて、兄さんにはなついてたから。姪っ子の病室は窓から満開の桜を臨めた。もうクラスの友達グループできてるし。入学式に出たかったと泣く娘に春色の…

よっつめ

恋に落ちた。彼女の肌を味わいたいと甘い空想が止まらなかった。そんな僕を彼女は怯えた目で見た。元気だせ、と僕の左腿に棲む蛇がしゅるしゅると喉を震わせる。こう見えて案外いい奴なのだ。また彼女に会った。走って逃げるスカートから、かすかな鳥の羽音…

みっつめ

学校でもどこでも、いつも眠っているやつだった。理由はつまらないから、成長期だから、眠たいから。ぺたんこの学生鞄に、奇妙な本が入れっぱなしになっているのに気づいたのは俺だけだ。あいつが寝ている間は取り出してよく読んでいた。ひんやりと明るい、…

ふたつめ

冬になると、好きな人が手を繋いでくれる。「さむー」「おはよ」「おはよ。ね、ポケットに手ぇ入れさせて」「やだ。アンタ手ぇ冷たいもん」「いいじゃん!ああさむい」コートのポケットに氷のような手を押し込まれ、私は大げさに身震いした。てのひらの窪み…

ひとつめ

久しぶりに父母の夢を見た。両親をどこか海っぺりのこじゃれた観光地へ連れて行こうとする夢だった。いいじゃない、と言わせたくて沢山のガイドブックをめくり、移動手段をつなぎ合わせ、旅のしおりみたいなものを作った。幸せでも、あまり両親の顔を見ては…